宇都宮市・鹿沼市近辺での
『 カウンセリング & 伴走型ソーシャルサポート
一般社団法人 福祉コラボちむぐくる

とちぎ家族相談室

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「親子関係」を考える

A-2.「親子関係」を考える

「親子関係」理解のためのキーワード

  • 「いま、ここ」に至るまでの親子関係の振り返り
  • 「親子関係」で身につけてきた「自分自身の守り方(人生の台本・脚本)」=古い守り方
  • 新しい自分自身の守り方(新しい生き方、新しい人生の台本・脚本)
  • 「繰り返しは繰り返しを生む(反復強迫)」=繰り返しの連鎖
  • 「攻撃的な子どもの心理メカニズムと対応方法<1><2>」

 ご自身やご家族に関わるご相談の一つひとつを考える際、「いま、ここ」に至るまでの親子関係の振り返りはとても大切になります。なぜなら、そこに、「いま、ここ」での問題に揺れ悩み・戸惑い立ちすくむ要因の一端が見え隠れすることが多いからです。換言しますと、親子関係で身につけてきた(身につけざるを得なかった)自分自身の守り方(人生の台本・脚本)が見え隠れしているのです。その慣れ親しんだ古い守り方(人生の台本・脚本)に、“カウンセリングやさまざまなソーシャルプログラム”などの中で『気づいていく』ことが問題の解決やご自身の回復と成長につながるのだとも考えます。つまり、新しい自分自身の守り方(新しい生き方、新しい人生の台本・脚本)を育む、との視点がとても大切になります。ここで、ジグムント・フロイト(精神分析を創始)が遺した人のこころを理解する鍵概念の一つである『繰り返しは繰り返しを生む(反復強迫)』を思い浮かべもします。『繰り返しの連鎖』に気づき、断ち、新しい生き方(新しい守り方、新しい人生の台本・脚本)を育むのです。

 当相談室は、そうした視点をも礎に、ご相談者との“カウンセリングとソーシャルサポート”を実践しています。

 「親子関係考える」素材として、室長の渡邉が過去に執筆しましたレポート(栃木県が発行していた「とちぎ子どもレポート」という定期刊行冊子です。残念ながら、現在は廃刊となっています)を公開いたします。ただし、あくまでも個人で参考にするとの使い方(「こうした理解の仕方もあるのか」などとの新たな視点の育み)にしていただきたいと思います(印刷し、配布するなどはなさらないでください)。また、文章内にあります「愛着」は、現在、「アタッチメント」と表現されることがより多くなっているなど、一部用語の使用方法が変化しているものがございます。ご留意ください。

攻撃的な子どもの心理メカニズムと対応方法<1>

はじめに

 「子ども」と「攻撃性」との関係(心理的メカニズム)を、私自身が、クライエントとの共同作業(回復と成長への育み)を進める際に手掛かりとしている『親(特に母)-子関係を礎とした「個体化(自分自身になっていく)」の過程』の大まかな視点を紹介する形で進めたいと思います。

攻撃と暴力

 「攻撃」と似た表現に「暴力」という言葉があります。「大した違いはないんじゃないか」と思うかも知れません。確かにそれらの本質が十分に解明されているわけではありません。もちろん、その定義も明確ではありません。が、精神保健の臨床では、各々を区別して捉える必要があると考えています。なぜなら、各々に込められたメッセージ(意図や意味)が異なるからです。端的に言えば、攻撃は「相手の承認(愛)」を、暴力は「相手の消滅」を求めることです。攻撃は「生理的(健全)」、暴力は「病理的(不健全)」と換言することもできます。ただし、その違いの読み取り(解釈)にあせりは禁物です。

「侵入」という視点からのコミュニケーション理解

 『最近、中学生になった娘の言葉遣いが荒くなってきたんです。昨日も、学校での様子を尋ねたら、「うぜえんだよ。死ね」と凄まれて・・・・・』『ひきこもり状態にある中学生の息子が昨日も母親に手をあげて・・・・・。髪の毛をわしづかみにしながら「俺をこんな風にしやがって・・・・・」と声を荒げたんです』などの訴えをクライエントから聴くことがあります。こうした訴えが訴えとなるには大切な前提条件があります。それは、自(親など)他(子ども)の心理的境界線(バウンダリー)を超えて「侵入された(実感レベルとしては戸惑いを覚えること等)」と受け手(自)側が感じることです。つまり、「侵入された」という体験が先以てあり「訴え」につながっていくということです。そうしたことから、「相手(他者)の同意なしにバウンダリーを超えること」を「侵入」と呼ぶ。そんな定義付けができるかも知れません。バウンダリーには「身体面」「知性(考え)面」「感情・情緒(気持ち)面」の三つの側面があり、同意という手続きを踏まない相手に対しての「髪の毛のわしづかみ」や「考え・気持ちの無理強い」などが侵入となります。

 「攻撃」と「暴力」が各々意図し意味することは異なっても、そうした「バウンダリーへの侵入」という視点から理解した場合大差はありません。

 
個体化(自分自身になっていく)のための三つの誕生 ~出会いと別離~

 第一誕生。「生理的早産(未完成な状態で産まれる)」と呼ばれるヒト特有の様式での誕生です。それは「オギャー」と発せられる赤ちゃんの声に始まります。この声は、生物学的には肺呼吸を始めたサインです。が、こころの発達の側面からは『感情・情緒の始まり(原型は欠乏感・欲求不満感。つまりは「怒り」)』と理解することもできるのです。「私(個体化)」の始まりは、未完成なまま出ずることから生じるそうした感情・情緒に垣間見えるのかも知れません。未完成故に赤ちゃんは、母親の保護(無条件に受け入れられるという体験)が不可欠となります。保護の中で赤ちゃんは、「満足(例;授乳による満腹感)[快≒承認] - 不満足(例;空腹感により泣き叫ぶ)[欠乏感≒怒り]」という未分化な感情・情緒体験を基軸に、「愛着attachment(母親とともにあるという感情・情緒的結びつきの感覚、ともにあるという安心感)」を深めつつ育みます。この愛着は、赤ちゃんのペースで育むことができないことが大きな特徴です。誰か(母親など特定の他者)に抱えてもらわないと生き延びられないというヒトの宿命の中で、それがどのような他者であろうかという判断(保護の程度と質の見極め)が行えない下で、愛着という特別な関係を育まざるを得ないとも言えます(虐待を受け続けた子どもがその親元に帰りたがるのは、こうした「愛着の欲求」によると理解することができます)。そしてこの愛着こそ、赤ちゃんが自分自身になっていくために欠かすことの出来ない源になるのです。

 第二誕生。母親から離れることができるようになる「私(子ども)」の誕生です。第一次反抗期とも呼ばれる3歳頃までの時期です。この時期は、身体がぐんぐん大きくなり、ひとりで歩くこともできるようになります。そうした身体的成長は、同時にこころの発達も促します。「お母さんはあっち行って(飛び出し)」と子どもひとりで夢中になって遊んでいたかと思うと、突然「お母さんはどこ、どこ・・・・・(しがみつき)」と泣き叫んで母親を探し回ったりするようなことが多く見られるようになります。そうした揺れ動きのこころの体験をとおし、次第に、「ひとりで居られる力(母親不在への耐性)」を付けていくのです。

 第三誕生。親からの感情・情緒的な独立(別離)をし、社会の枠組みの中で主体的に生きる「私」の誕生です。親の世話焼きと縛り(支配とコントロール)から離れる時期(思春期・青年期)で、概ね10歳位から始まり20歳代半ば頃まで続きます(昨今この時期が間延びしています)。第二次反抗期と呼ばれる時期も含まれます。今まで育んできた「愛着」との別離作業が子どもの課題となります。主体的な「私」というバウンダリーを育むことが課題と言い換えてもよいと思います。すなわち、「脱愛着detachment」がその課題の中心テーマです。「うぜえ」「あっち行け」「ほっといてくれ」「ムカツク」「うるさい」「くさい」等々の言葉が子どもから親に向け発せられるようになります。時には壁を叩いたり蹴飛ばしたり、物を投げたり等々の行動が伴うでしょう。一方で、「俺はダメだ」等々の弱音を吐きつつ親に涙を流しながら救いを求める子どもの姿も。何れにしても、そうした言動の元となるエネルギーはとても健全なものです。と同時に、言動の背後には特別な別離故、「哀しみ」「孤独感」「むなしさ」などの「痛み」が内包されていることも忘れてはなりません。

「攻撃」「暴力」と子ども ~その関係(メカニズム)を巡って~

 「元気な赤ちゃんで生まれて来て欲しい」。子どもの誕生を待ちわびる多くの親(特に母親)がこうした「願い」や「希望」を自然に抱くことでしょう。この自然な抱きが子どもに即「侵入」することはないと思います。そして、第一誕生。以降、育ちつつある(第二誕生以降)我が子に親は、「強くたくましい子になるのよ」等、大なり小なり『期待(「期待しない」と言うような「期待」も含め)』を強めて行きます。この「期待(親が描く特定の結果を求める態度)」が、愛着を育まざるを得ないヒトという種の宿命を負った子どもに、いつしか「侵入」するようになります。期待と言う名の「支配とコントロール」との意図と意味を持った「侵入」に、子どもは必死に応えます。そうした「応える(応えざるを得ない)」と言う関係(愛着)の育みの中で、「承認」と「欠乏感・怒り」という自らがコントロール出来ない感情・情緒体験を重ねて行きます。重ねる体験をとおして、感情・情緒の分化を育みます。ウィニコットの言う「ほどよい母親good enough mother」の「ほど良く抱える(ホールディング)good enough holding」養育とその態度、つまりは期待の水準(例;生きていてくれるだけで良い等)が一定・一貫したものであれば「承認」と「欠乏感・怒り」を巡る子どもの葛藤は必要な段階で建設的に解消されて行きます。が、そうでない時、「要求に応えれば応える程(応えようとすればする程)」感情・情緒の原型である「欠乏感・怒り」は変形・変質したものとなります。その結果「欠乏感・怒り」は、まとまりを欠いた「憎悪・恨み」等となります。なぜなら、強まる期待(要求)に応え続けることは誰も出来ないからです。そして、「応えられた・応えられなかった・応えたくなかった・・・・・」等を清算するのが第三誕生の時期なのです。この清算時子どもは、「欠乏感・怒り」をその源とした「攻撃(生理的・一時的)」か「憎悪・恨み」をその出自とした「暴力(病理的・持続的)」という唯一の手段・方法を用い、親に別離を告げるのです。別離を告げ、等身大の「私」への新たな育みを始めます。子どもから親への暴力(攻撃)は、そうした別離のためのエネルギーを元にしているのではないかと考えています。

攻撃的な子どもの心理メカニズムと対応方法<2>

はじめに

 前回子どもが「自分自身になっていく」過程を三つの誕生という時期に分け紹介しました。その中で特に第三誕生(思春期・青年期)は、親との関係を清算する時期となるため、「攻撃・暴力」という問題行動が生じやすいことを強調しました。

 では、そうした問題行動にどのように対応したらよいのでしょう。

 今回は、思春期・青春期に入った子どもからの度重なる攻撃・暴力に悩み戸惑う親の立場を想定し、その原則的な対応方法を大まかに紹介する形で進めたいと思います。

 
子どもと向き合うスタンスの点検と整理

 スタンスとは「子どもにどうあって欲しいか」との親の価値態度のことです。親は、「明るく元気な子であって欲しい」「優しい子であって欲しい」「勉強のできる子であって欲しい」「ピアニストになって欲しい」「プロ野球選手になって欲しい」「家業を継いで欲しい」等々、成長する我が子にさまざまな期待を投げ掛けます。

 そうしたスタンスを点検・整理し概ね一つに絞り込むことが最初の取り組みとなります。この際子どもの支配とコントロールに繋がるものは避けることが鉄則です。なぜなら、この時期は、親の支配とコントロールを巡る葛藤との折り合い(親-子関係の心理的清算)が子どもの成長課題となるからです。

 また、仮に夫婦仲が芳しくなかった場合でも、スタンスを合わせ最後の子育てに臨むことが必要になります。

子どもとのコミュニケーションを点検する道具の活用

 度重なる攻撃・暴力に悩み戸惑える親に、前述したスタンスの点検と整理を踏まえた上で、次に紹介する4つの道具を使用し、子どもとのコミュニケーション(関わり)を点検するようにします。

【道具1】問題と課題を分ける

 頻発しエスカレートする子どもの問題行動に、親は心身とも疲労困ぱいします。そうして、攻撃・暴力が子どもとのコミュニケーションの限られた手段となります。こうした状況の中で親は、頭もこころも「ごちゃごちゃ」になって行きます。物事を判断する力が低下し感受性が鈍くなるのです。そうした状態にあって問題と課題を多くの親が混同して行きます。では、その相違は何なのでしょう。

 『家族一緒に久し振りに出掛ける一泊旅行当日。予報がはずれ大雨の天気。が、楽しみにしていたこともあり予定通り決行することに。そのため、雨対策として、傘・レインコート・長靴を大急ぎで準備し身に付けて出発・・・・・』との場面を思い浮かべてください。この場面では「雨」が問題で「傘等を身に付け出掛けること」が課題となるのです。つまり、問題は「変えられないこと・流れに委ねるしかないこと」であり、課題は「変えられること・出来ること」なのです。その意味で、エスカレートする子どもの攻撃・暴力は問題となり、親が今可能な範囲で出来ることをすることが課題となります。具体的には、攻撃・暴力の問題発現時、止めようとせずその場を離れる等々、親の課題を徹底して行うことです。

【道具2】担っている見えない役割から降りる

 人間関係の一番小さな単位は1:1の関係。すなわち、「母と子」と言うような二者関係です。この関係には大きな特徴があります。それは、子が落ち着かずイライラしていると母も悶々とした気持ちになる等、公園にあるシーソーを使用する関係のように「不安定である」ことです。そうした不安定な関係は安定を求めます。そこで、新たに誰かを巻き込み、三角関係化(「父と母と子」のような三者関係)を図るのです。三角関係は、安定した人間関係の一番小さな単位と呼ばれ、「安定している」ことをその特徴としています。

 そうした三角関係は家庭・学校・職場等あらゆる人間関係が織りなされる場で築かれます。しかし、この関係には健全なものと不健全なものがあるのです。では、その相違は何なのでしょう。

 『頻発しエスカレートする娘の暴力に怯える母。妻の訴えを耳にしても「仕事で忙しい」と取りあわない夫・・・・・』との場面を思い浮かべてください。この場面では「娘・母(妻)・夫(父)」が見える役割で、「問題を引き起こす役(娘)・不安に怯える役(母・妻)・無関心逃避役(夫・父)」等、結果として担ってしまっている振る舞いの特徴・パターンを見えない役割と言います。この見えない役割が特定の誰かに固定化し動かなくなっている状態にある三角関係を不健全、そうでないものを健全と言います。

 子どもの度重なる攻撃・暴力に悩み戸惑う家族にはそうした不健全な三角関係が間々見られます。この道具は、結果として担ってしまっている見えない役割から降りることを当面の目安とすることを提案しています。そして、目安を道標にしつつ、道具1が提案している親が今出来ることを可能な範囲ですることです。何も特別なことをする必要はないのです。具体的には、夫や妻の呼び方をファースト・ネームに変更することであったり、夕食の準備時にはBGMを流し鼻歌を口ずさむ等、ちょっとした変化を加え行動するだけです。このちょっとした行動の変化が硬直した見えない役割を動かし始めます。

【道具3】誰の課題かを見極める

 どのような言動や振る舞いであれ誰かに端を発し属します。一見すると複雑に思えるような子どもとのやり取りも、「誰に属するものか・誰の課題か」との道具を使い点検・整理することが出来ます。

 具体的には、まず親が気掛かりとなっている子どもとのやり取りを紙に書きます。箇条書きで構いません。例えば、ある母親が『娘が「私をこんな風にしたのはお前じゃないか・・・・・」と声を荒げ、私の髪の毛をわしづかみにした。これからどうなるのか心配・・・・・』と綴ったとします。綴ったやり取りを次のように分類・整理します。(1)こんな風にしたのはお前じゃないか(2)声を荒げ(3)髪の毛をわしづかみにした(4)これからどうなるのか心配 と。そして、各々の言動や振る舞いが「誰に属す課題」か点検するのです。換言すると、そうした言動や振る舞いを取ることを選び決めたのは誰なのかとの同定作業を行うのです。選び決め振る舞うことは「自律(自分で自分をコントロールすること)&自立(自分が選択したことを自分ですること)」の一歩。実は、子どもが自分自身になっていく一歩を支持するという意味がこの点検作業には込められているのです。

 そうした意味を踏まえながら点検を進めましょう。(1)の言動を選び決めているのは誰でしょう。そう、娘です。「言葉遣いがひどい!」「親に対しての言葉か!」等思わないでください。親ではなく娘に属する課題なのですから・・・・・。同様のやり方で(2)~(4)の見極めを行って見てください。

【道具4】バウンダリー(心理的境界線)の確認と保障

 自(親)・他(子ども)を認めあう関係にあるかの点検です。換言すると、柔軟なバウンダリーが保障されているかどうかの見極めです。バウンダリーは(1)身体面(2)知性(考え)面(3)感情・情緒(気持ち)面の三つの側面で構成されます。子どもであれ親であれ、掛け替えのない唯一無二の存在で、個性的な「からだ・考え・気持ち」の持ち主なのです。それ故、バウンダリーを越え侵入するような過干渉や過批判(支配とコントロール)を行っていないかを精査する必要があります。

 具体的には、子どもとの「間」に見えないテーブルがあることをイメージし関わることです。

 

まとめ

 度重なる子どもの攻撃・暴力に悩み戸惑う親は、「何とかしなければ・・・・・」との思いから、その関わりの結果に知らず々「効率」を求めます。早く上手い関わりをして問題行動が無くなるようにとのそうした親の姿勢は、裏腹に子どもに侵入し、攻撃・暴力をエスカレートさせがちです。なぜなら、コミュニケーション(関わり)の鍵は言葉の言い回し等ではなく、その場を包む「雰囲気や空気」だからです。これを、メタ・コミュニケーションと呼びます。「眼差し」と言い換えてもよいと思います。

 そうしたメタ・コミュニケーションに配慮するためには、前述したスタンスの点検と整理から入ることが肝要だと考えます。その上で、「子どもを変えよう」とするのではなく、親である「自分自身が変えられること・出来ること」に集中することです。4つの道具を活用し始めてみませんか・・・・・。

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