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『 カウンセリング & 伴走型ソーシャルサポート
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<よんなぁーよんなぁー日記>2023(令和5)年

2023(令和5)年6月・水無月

6月10日(土)
無力という力 〜「うまい・はやい・やすい」から「まずい・おそい・たかい」へ〜

 超少子高齢化、虐待や暴力、地球環境の急激な変化など、マスメディアから報じられる決して明るいとは言えないニュースは、「今」を生きるわたしたちの深いこころの風景を描写しているように思えてならない。ニュースを報じるのも、生むのもわたしたちだからだ。そこには、無意識の「意志」が働いている。

 子どもの頃戯れの場所だった駄菓子屋は姿を消し、変わって、コンビニになった。時に胸を高鳴らしつつ回したダイヤル式の重い黒電話も、胸ポケットに収まるコンパクトなスマートフォンに取って代わった。確かに、便利になったように思う。まさに「うまい・はやい・やすい」との時代の方程式に適った変化、すなわち、「効率」が人の世の価値観を支配するようになってきたようだ。

 こんなことを考えるようになったのは、自分自身の臨床体験が大きいように思う。胸を躍らせながらクライエントと向き合った駆け出しの頃。今考えると、肩肘にとても力が入り過ぎていた。そのことを思い知ったのは30代に“バーンアウト(燃え尽き)”してからだ。その頃、さまざまな依存症(癖嗜)者、精神疾患に揺れ戸惑う者、虐待のトラウマに怯える者、暴力の被害者・加害者等々と向き合い続けていた。言葉にすることも憚るような辛辣で強烈なリアリティある叫び(エピソード)が目の前で数多く語られた。「声にならない声、言葉にならない言葉」も知った。そうした当事者や家族の語りは、人や家族、そして、社会の深い闇をわたしに突きつけ続けた。闇は、アンビバレント(相反する感情の同居)とパラドキシカル(逆説的)なメッセージに満ちあふれていた。2、3年程は抜け殻のような状態にあっただろうか。『わたし』の“決定的な何か”が砕けたことを認めざるを得ない状態だった。この“抜け殻体験”が、「無力という力」を教えてくれた。経験として重ねてくれた。それは、それまで、どこかに抱き持っていた「傲慢さ」や「うぬぼれ」に変わり、「謙虚さ」や「正直さ」を運び育んでくれたと言い換えることもできよう。

 物であれアプローチ方法であれ、「効きそうなもの≒便利なもの」はわたしたちを「うまく・はやく・やすく」幻想(陶酔)の世界に導いてくれる。と同時に、その導きは刺激的な囚われを生む。囚われている内は、「囚われていること」自体に気づけない。

 「わたし」や「クライエント」の生き方や在りようは、当たり前なのだが『効率』では括れない。そして、語ることもできない。『まずい・おそい・たかい』。燃え尽き後、私はそれを自身の生き方の点検の道具にしている。便利ではないが、『豊かさとは何か』を教えてくれるからだ。

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